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やり直せるなら(3)


 

▽10日目

 その日、智子はあの公園の、あの場所にやって来ていた。

 HIROと初めてあった、あのベンチだ。

 浩之が行方不明になって6日が過ぎた。警察の捜索にも関わらず、何の手がかりも得られていない。

 無理もない、浩之は未来人の科学で、この世から消し去られたのだから。

 浩之が消え去る瞬間をこの目で見たのは、智子とあの時浩之とともにいた女子生徒である姫川琴音の二人だけだ。

 あの後智子は、気を失った琴音を保健室につれて行った。琴音は2時間昏々と眠り続けた。目覚めた琴音は、軽い錯乱症状に陥っていた。

 やがて落ち着きを取り戻した後、琴音は、小さな体を震わせながら自分の力について語り始めた。自分には未来を予知する力があるのだと。しかし浩之は、本当はそれが念力であることを証明しようとしたのだと。そして、琴音の力を引き出すために屋上に登り…。

 つまり、あの時浩之の体を浮かせたのは、浩之ではなく琴音だったのだ。HIROはやはり標的を間違えていたことになる。

 それが、HIROも一緒に消えてしまった理由なのだろうか。殺すべきでない人間を殺したために、彼が存在するという未来が改変されてしまったのだろうか。

 それとも、元の時代に帰っただけなのか。

 それを確かめる術は、智子には、ここにくるほかには思いつかなかった。

 ベンチの正面の木立に足を向ける。何かあるとするとこの奥だろう。

 HIROが、本人の話したとおりに未来から来たのだとすると、タイムマシンか何か、そういったものがあっても良さそうなものだ。

 もう一つ、あの制服のこともある。あの服をどうやって手に入れたのか。HIROが「爺ィ」と呼んでいた彼の上司に連絡を取って、彼らに手配させてこちらに送らせたと考えるのが一番それっぽい。

 とすれば、最悪でも通信機か何か、そういうものが見つかってもおかしくない。

「見て分かるもんやったらええんやけど…」

 さて、どんなものかと思いながら手近な茂みを探ってみると…

 あった。メタリックな光沢を持つ、直径20cmほどの卵形の物体だ。

「…まさか、そない簡単に見つかるわけないなあ…」

 おそるおそるさわってみる。感触はアルミか何かのようだ。ひんやりと冷たい。

 そっと取り上げてみる。

 思っていたよりずっと軽い。それこそ鶏の卵より軽いかもしれない。中身は空っぽなのだろうか。

 目の前まで持ち上げて観察してみると、この物体の表面にはいっさい切れ目がないのが分かった。穴のようなものも見えない。ボタンのような突起物もない。

「なんやろなあ、これ…」

 これがHIROに関係するものだとして、いったい何に使うもので、どうやって使うものだろう。

 あちこち叩いたり、回したり、こすったり、ひっかいたりしてみるが、卵はうんともすんとも言わない。

 だんだんイライラしてきた。もしかして、これはあいつとはぜんぜん関係ないもので、自分はかなり滑稽なことをしているのではないだろうか。

「…ええ加減に動かんと、はったおすでこの卵っ!」

 と、怒鳴ったところでどうにかなるものでも…

 どうにかなった。

 突然、卵からブーンという低い音がおこり、表面が振動し始めた。

 思わず、智子は「きゃっ!」と卵を放りだしす。

 地面に落ちた卵はごろごろ転がり、茂みにひっかかって止まると、ブンッという音とともにサーチライトのような光を放った。

 そのライトの中で、何かが動いたように見えた。

 そこには一個の人影が…車椅子に書けた一人の男がいた!

 男はしばらく無言でいたが、膝の上の本を閉じて、指で意味もなくいじっていた。やがてにっこりと笑うと、顔は一度に生気に満ちてきた。

 彼は言った。

「わたしはハリ・セルダンだ」

 唖然として、智子は言葉も出ない。

 すると、男が顔をしかめた。

「…このギャグ、分からないかね?」

「…は?」

「君は、SFとか、普段読まない方かね?」

「…筒井康隆とかは、読むけど…」

「アシモフとかは?」

 智子は首を横に振る。

 男が、がっくりと肩を落とす。

「20世紀っていえばアシモフが現役だったころじゃないか。それで『銀が帝国の興亡』を読んでいないなんて…なんて嘆かわしい」

 さすがに、智子も冷静さを取り戻す。

「…あんた誰やの?」

「そう言う君こそ誰だ?」

「普通、女性に名前聞く前に自分から名乗るべきちゃう?」

「うーん、それもそうか。あー…」

男は眠たそうな顔(たれ目のせいだろう)をキゥと引き締めて(眉間にしわ寄せて口をへの字に曲げただけだが)、

「私はNAGASEというものだ。で、君は?」

「保科…智子」

「うむ。で、君がなぜここにいる?」

「そんなんおいといて…あんた、HIROの上司の人やんな?」

 HIROが「爺ィ」と呼んでいたから、もっと年寄りだと思っていたが、このNAGASEという男は40代くらいに見える。研究者といった風情の白衣姿。眠そうな目に眼鏡。顔はなんとなく長い。猫背なところがなんとなくジジ臭い。だから爺ィなのだろう。

「ということは、君はHIROのことを知っているのか…まったく、現地人との接触は最低限にしろと念を押しておいたのに」

 ぶつぶつぶつ…と独りごちる。

「で、そのHIROは?どこに行ったか知らないか?ここ数日、定時連絡に応答もしない。久しぶりに応答があったと思ったら、HIROの代わりに君がいたというわけだ」

 …ということは、やはりHIROが消えたのはイレギュラーな出来事なのだ。

「HIRO…消えてしまったんやけど」

と、おずおずと口を開くと、

「…なんだと!?」

 NAGASEの目が点になった。

 智子はここ数日の出来事を残らず語った。と、いっても、語るべき事はさほど多くもない。HIROと出会ったいきさつ、HIROと旧友の浩之がそっくりなこと、放課後の屋上でHIROが消えた瞬間のこと…智子が要点だけを順序よく並べたこともあって、ものの5分もかからなかった。

 聞き終えたNAGASEはしばしじっと考え込んだ。やがて、

「…それは、まずいな」

とだけ言って、また黙り込んだ。

「まずいて、どういう事やの?」

 辛抱強く待っていた智子だったが、業を煮やしてかみついた。NAGASEはぎょろっとした目で智子をじーっ、と見る。

 やがて、何かを決心したように頷く。

「そうだな。君はこの一件とすでに深く関係しているようだ。いまさら教えないと言うのもあんまりだろう。その代わり、少し協力してもらえるかね?」

「協力?」

「そう。詳しいことは明日、この時間、この場所で話そう。あまり長く通話は続けられなくてね…では」

「あ、待って!」

「なにか?」

「一つだけ、教えてほしいねん。HIROは…どうなったん?」

「彼は…歴史上から消えたんだよ」

 

▽1xx年後

 遠い未来の話。

 地球上には二種類の人間がいる。無数の普通の人間と、少数の、異能者と呼ばれる人間たちだ。

 異能者とは、その名が示すとおり、普通の人間とは異なる力を持った人たちのことだ。いわゆる超能力者である。テレキネシス、テレパシー、未来予知…彼らの能力は、この時代の科学をもってしても解析不能な部分が多い。

 異能者たちの存在は、それまでも少なからず確認されてきた。いわゆる超能力者と呼ばれる人たちのうちの何人かは、実際に超自然的な力を持った異能者とされている。

 力を持たない人々の異能者に対する思いは複雑だった。平和な時代には、彼らは芸能・芸術・経済界で力を発揮して社会に貢献した。

 しかし、ひとたび社会的動乱が起こるたびに、彼らは捕らえられた。一つにはその力に対する恐怖のためであり、もう一つには、その力をどうにか解明して利用しようとする人間たちのためだ。異能者たちは、力を発揮した直後には、その力に見合った休息をとる必要があったため、多くの犠牲者が出ることになった。

 それでも彼らは、普通の人間として普通に暮らすことを求めた。それが長い間続いてきた。

 しかし、この時代、ついに異能者たちは自分たちに対する虐待に対して報復を行った。そして、自分たちが恒久的に安全を保障されるような社会を目指して、団結して戦いを始めた。

 普通の人間が束になったところで、組織的に行動する異能者にはかなわない。作戦を立ててもテレパシーで筒抜けになり、対戦車ミサイルを撃ち込んでみても、すべてねじ曲げられる。

 対消滅爆弾などの超規模破壊兵器にはさすがの彼らも成すすべがなかったが、これにしても、人口密集地に潜り込まれては使えない。

 やがて、ある軍事大国が業を煮やし、ランダムに選んだ都市に対して対消滅兵器を使用した。

 これが連鎖反応をおこし、数多くの異能者の命が失われた。数多くの都市と、そこに住む人々とともに…

 

▽11日目

「…なんかその話、今までの話とむっちゃ浮いてる気がするねんけど」

「そう言われてもなぁ…」

 智子の目は冷たい。

「あんたの惚けた顔から、そんな大層な話には絶対結びつかんて」

「そういわれても、これが事実なんだから仕方ない。そういうことにしてくれないかな」

 NAGASEが頭をかく。

「…で、だ。我々は、この悲惨な状況を歴史的に回避することにした。記録を詳細に調べた結果、最初に異能者が現れたのが、君たちの時代、君たちの町だということを突き止めた。残念ながらどの人物か特定するには至らなかったわけだが…」

 もともとタイムマシンの開発に従事していたNAGASEたちは、最初の異能者を始末することで、その時代までに生まれたすべての異能者を消し去ろうと画策したのだ。

 そのために送り込まれたのがHIROだった。

「追加調査の結果、姫川琴音が最初の異能者であることはほぼ間違いない。彼女については興味深いデータが残っている」

「興味深いデータ?」

「彼女は半数染色体…要するに、父親なしに生まれた子供なんだそうだ」

 生物は、父親と母親からそれぞれ染色体を受け取る。しかし琴音の場合、父親の染色体は受け取らず、母親のそれのみを受け継いでいる。この異常な現象は、人間ではほかに例がない。

「…異能者と半数染色体の関係については、たしかに20世紀末から21世紀にかけて盛んに研究されたことがある。というより、この研究が、後に異能者を世間に認知させる直接のきっかけになったわけだ」

「ちょっと待って…つまり、異能者っていうのは姫川さんの子孫やってこと?」

「それは違う。異能者は社会に先天的に存在するものらしい。たぶん、有史以前から存在していたはずだ。それに…半数染色体の人間は子供が産めない。染色体が足りないんだから当然だがね」

「そしたら…仮にHIROが姫川さんを殺していたとしても、やっぱり未来は変わらんかったってこと?」

「下手をすると、そうだった可能性はある…さて、HIROの家系を細かに遡っていった結果、意外な事実が判明した」

「意外な事実?」

「うん。驚くべき事実というやつだな」

「…実は藤田浩之はHIROの祖先である」

「うん。そうそう…って、君、なぜそれが分かった?」

 智子はため息をつく。

「だいたい、読めてきたわ…つまり、HIROは自分自身に続く祖先を消してしまった。だからHIROは生まれなくなった」

 そうそう、とNAGASE。

「せやけど、人が一人死んでも、歴史は変わるんとちゃうの?」

「過去のある変化が未来に及ぼす影響というものは、それほど長い時間が経てば経つほど小さくなっていく。そのように歴史がつじつまを合わせてくれるというのが、我々の扱う時間学の答えだ」

「なんやの、それ?」

「説明はしない。もう一つ、過去の変化により未来が変わったとしても、その変化は我々自身にも及ぶ。つまり、私は彼がそこで死ななかったという歴史は知ることが出来ない。古典的な量子力学的問題だね」

 智子は勉強は良くできる方だが、NAGASEの話はよく分からない。要するに、影響はないと言いたいらしいが、ではなぜHIROには影響があったのか。

 と、尋ねてみた。

「HIROからみてこの藤田浩之というのは、他の人物で置き換えられないほど重要な先祖だったということだろうな。顔がそっくりだ、と君も言ってただろう」

 そう言うことらしい。

「さて、ここからが本題だ。君は、藤田浩之とHIROの二人を救いたいとは思わないかね?」

「…当然や」

「それが、誰かの人生をめちゃくちゃにするとしても?」

「え?」

 NAGASEの瞳はいつになく真剣だ。

「君が為すことによって、ある少女の人生はおそらく幸せではなくなる…あるいは、そうはならないかもしれないが、幸せになる確率は確実に悪くなる。それでも君はやってくれるのかね?」

 ある少女とは、間違いなく姫川琴音のことだろう。

 琴音の幸せ…浩之という理解者に恵まれ、長い間彼女を苦しめていた悩みが勘違いであったことに気がつくこと。そしておそらく、それからも浩之とともに生きていくこと。

 それらを奪う権利が、智子にあるのだろうか?

 智子は必死に考える。どんな受験勉強も役には立たない。これほど難しい、たぶん答えのない問題は、どの教科書にも参考書にも載っていない。

 だから、これは気持ちの問題なのだ。自分の気持ちに正直にならなければならないのだ。ちょうど、浩之がそうしてくれたように。HIROにそうしたように。

 智子は、ゆっくりと、力強く、頷いた。

「…よろしい。では、これから君にやってもらいたいことを伝える。藤田浩之も、HIROも、そして我々の時代のすべての人の命も、君にかかっているということをくれぐれも理解してくれたまえよ」

 智子の思いと裏腹に、NAGASEの言いぐさは、いたずらを思いついた子供のそれのように、軽く、楽しげだった。

 

▽1日目

 その夜、いったん家でのんびりしてから、俺は夕飯を食いに外へ出た。

 牛丼屋でセットの定食を食い、その後ふらりと立ち寄ったゲーセンで時間を潰していると、出るころには雨が降っていた。

 …うっげー、マジかよ。

 傘なんか持ってきちゃいない。

 その辺のコンビニで買おうかと思ったが、見ると、オレ以外にも傘をささずに走って帰ってる連中が何人もいた。

 それを見ると、なんとなくオレも、そのまま走って帰る気になった。

 目のまわりを手で覆い、水たまりを跳ねながら、雨の公園を走る。

 すでにもう半濡れ状態だった。

 …くっそー。

 春も終わりとはいえ、雨は冷たいぜ。

 家に着いたら、すぐシャワーを浴びよう。

 でないと風邪引いちまう。

 そんなことを考えながら、公園を突っ切ろうとしたとき…。

「藤田くん…」

「ん?」

 ふと、名前を呼ばれて、オレは立ち止まった。

 声のした暗がりのほうへと目を向けると、冷たい雨の中、傘もささずに突っ立った人影があった。

 見慣れた制服を着たその姿は…。

「…い、委員長じゃねーか」

「ああ。やっと来た。…もし、ここ通らんかったら、どうしようって思ってた」

「…な、なにやってんだよ、委員長。こんなとこで」

「藤田くんの顔が見たなってな。前に会うたこの場所で待っとれば、きっと通るんやないかと思って」

 

▽4ヶ月後

 どこまでも続く青い空。悠然と過ぎ去る入道雲。

 水平線へと続く青い海。海へ続く白い砂浜。

 その浜辺を、楽しそうに手をつないで歩いていく一組のカップル。

 白いビキニに麦藁帽子をかぶった智子と、もう一人は浩之だ。

 あの、雨の日…智子の願いが通じたのか、浩之が公園を通りがかった。浩之に悩みのすべてをうち明けた二人の間に、互いを求める強い気持ちが生まれ…その夜、二人は結ばれた。

 それから二人は恋人として付き合い始めた。過去に縛られ、一人孤独に耐えていた智子は、もはや過去のものだ。彼女にはかけがえのないパートナーがいる。それだけでどれだけ心強いことだろう。

 しかし智子は、自分の代わりに幸せを失った少女がいることを知っている。

 姫川琴音は、自分のもたらす不幸な予知におびえたまま、今も殻に閉じこもったままだ。智子は出来る限り浩之が琴音に近づかないように心がけている。それがあの時、NAGASEが与えた指令だった。

 過去に戻り、浩之がゲームセンターに行くように仕向けること。そして、浩之と琴音が必要以上に接触するのを防ぐこと。

 ゲームセンターが、というのは、NAGASEによれば、

「あの日、浩之がもう少し遅く帰れば、君と出会うことになったはずだろう。20世紀の若者はゲームセンターでよく時間をつぶすそうじゃないか。それでいいから、ともかくあと1時間でいいから、彼が帰るのを遅くするんだ」

 そしてもう一つの指令については。

 浩之が琴音の力の秘密を暴かなければ、琴音の力が詳しく研究される可能性はずっと低くなる、というのがNAGASEの説だ。

「当時、藤田浩之はとある大企業の令嬢と親しくしていた。それから、その企業の研究所が開発していたメイドロボ。これと接触したという記録も残っている。姫川琴音の話がこの研究所の耳に届いたという可能性はとても高い」

「…仮に姫川琴音が研究されなかったとしても、後の時代に別の異能者が研究されるおそれは残る。だがそうなると決まっているわけでもない。ある意味では、君の行動は彼女のためにもなるのだ、と言うことを信じたまえ」

「…おい、委員長?」

「…え?」

 智子が我に返る。浩之が心配そうに見ている。

「どうしたんだよ、ぼーっとして」

「ううん、なんでもない。ちょっと考え事してただけや」

「考え事?」

「そうや。ちょっと…未来のこと、な」

「未来ねえ。まあ、先のことは分からないけどよ…」

 智子の手を握る浩之の右手の力が増す。

「分からないけど…何?」

「あー…なんだ」

 照れてぽりぽりと鼻の頭をかく浩之。

「俺、いつまでも委員長と一緒にいたいって、思うぜ」

 かあっと、智子の頬が染まる。

「私も、そう思っててん」

 そうにっこりと笑って、

 そして二人は口づけた。

(了)


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