戻る
次へ

やり直せるなら(1)


 

▽1日目

 我ながらアホみたいやな、と、保科智子は思った。

 人気のない暗い夜の公園のベンチで、来る当てもない人を待っているだけでもアホらしいのに、3時間以上も前から雨が降りはじめていた。春の雨はまだまだ冷たい。制服はとうの昔にびしょ濡れだ。少しでも暖を求めて肩を抱いてみても、もはや冷たさをますます強く感じるだけだ。

「やっぱり、こんなトコで待ってても会えへんか…」

 智子はここで、クラスメイトの藤田浩之を待っていた。待ち合わせをしていたわけではない。彼の家がこの近くで、ここを登下校で通るだろうと思っただけのことだ。他に連絡のとりようもなく、ほとんどやけっぱちの行動だった。だから会えなくてもさほど驚くには当たらなかった。

 ただ、少し残念だと思った。

 その日、智子は中学時代の友人と久しぶりに電話で話をした。高校進学と同時に神戸から東京に出てきた智子は、神戸へのこだわりを捨てきれず、東京の生活に馴染むことを避けていた。旧友たちの近況を知ることは唯一落ち着けるひとときだ。

 電話の内容はいつものようにバラエティに富んでいた。最近どう?テスト終わったん?あそこの店が改装したん知ってる?○○どうしてる?などなど。

『なあ、知ってる?あの二人のこと』

電話の向こうの声が、声をひそめた。こういうときは誰々と誰々がつきあってるとか、別れたとかそういう話だ。

「二人て、誰?」

 告げられた名前は、智子のよく知る二人のものだった。幼なじみの三人は、男一人に女二人の親友という微妙な関係だった。

『あの二人、つきあってるって聞いてん。智子、二人とむっちゃ仲良かったやん。ホンマなん?』

「え?」

『中学の頃からお互い好き同士やったって…智子やったら知ってるんちゃうかな、って。な、どうなん?』

「そ、そんなん…私、知らんかったよ」

『え、ホンマ?あ!そしたら…』

 気まずい沈黙。

「…あ、ごめん。用事思い出したから、もう電話切るわ」

『うん…なあ、智子、あの二人も隠してたわけやないと思うから…』

「わかってる…ほなな、また」

 そのとき不意に脳裏に思い浮かんだのは、このところ何かと絡んでくるクラスメイトの藤田浩之の顔だった。

 クシュンっ。

「…さすがに、寒いなあ…」

 そう口に出すとやっと現実感が戻ってきた。改めて周りを見回す。人っ子一人いない暗い公園は、よく考えれば不気味だ。

「…あと、100数えて来んかったら、あきらめよ」

 99、98、97…45、44…。だが一向に人の来る気配はない。

「…15、14…ほんま、アホらしなってきた…11」

『10』

 そのとき、どこからか別の声が聞こえてきた。

『9、8、7…5、4、3、2、1…0』

「…?」

 ドドドドドドーンッ!

 智子の目の前にまぶしい閃光が走り、大地をとどろかすような轟音が響き渡る。爆風が制服のスカートをはためかすが、両手はとっさに顔の前にかざしているので押さえられない。

 すぐに風はやみ、まぶしさも収まったが、爆音の余韻はまだ残っている。

「な、な、な…」

 おそるおそる、目を開けてみる。爆発(?)の発生源の方は、もうもうと立ちこめる土埃でよく見えない。

「隕石でも落ちてきたん…?」

 ゆらり、と煙の向こうで影が動いた。

「…?」

 徐々にはっきりとしてきた。たしかに人影だ。それも、

「なに、こっち、来るん?」

 にゅっ。

っと、手がでてきた。ついで足、そして頭…男だ。背丈はそこそこ高く、みた感じでは若そうに見える。

 その男がスッと顔を上げた。

 目があって、智子は固まった。

「ふ、藤田くん?」

「ん?…ーぁ。ニーハオ。ちがうか、グーテンモルゲン?これでもねーな…ああ、そうそう。コンバンワ…で、いいんだよな」

 浩之が軽く右手をあげて言った。

「?」

「20世紀ってのは面倒だな。なんでこんなに言葉があるのやら…えーと、俺の言ってること、通じてる?」

「な、なんやの?」

「『ナンヤノ』?ありゃ、じゃあこの言語でもないのか。あー、あんた、ニホンゴ、ワカル?」

「ふ、ふざけんといて!なにアホなこと一人でブツクサ言ってんねん!?」

「なんか違うような気がするけど、それも日本語なんだな。万能翻訳機の調子、悪いのかと思っちまったじゃねーか」

「さっきからなに訳のわからんこと言ってるねん、藤…」

 と、そこでやっと智子は浩之(?)の格好に気がついた。ふつうの洋服ではなく、ましてやみなれた制服姿でもない。体にぴったりフィットする金属のような光沢のあるタイツを身にまとっているのだ。

「なにそのカッコ?」

「なんか変か?」

「なんかって、むっちゃ変やん」

「『むっちゃ』?」

「めっちゃ」

「『めっちゃ』?」

「…ものすごく、変やで」

「そうか?」

と、自分の格好を見下ろしてみる。

「…どこが?」

 きょとんとした表情で聞いてくる。

「…なんか変なもんでも食べたんか?それとも人馬鹿にしとるんか?」

「少なくてもあんたみたいな格好はしてないな。こう、下のあいたひらひらしたようなやつとか…」

「当たり前や!」

 浩之(??)は肩をすくめた。

「ここで遊んでるのはそれはそれで面白いんだが、仕事中なもんでさ。そろそろお暇させてもらうぜ…で、えーと、あんた」

「さっきから人のこと『あんたあんた』て、私あんたのことあんたあんた言ってないんやから、あんたも私のことあんたあんた言わんといてよ!」

「いやー、そう未知の言語でまくし立てられても、トランスレータが追いつかないんだが…あー、つまり、俺の名前が知りたいわけか?」

「名前て、あんた、藤田浩之やろ」

「誰だそれ?俺の名前は『HIRO』だ。『HIRO』だけ。フジなんとかってのはいらない…じゃ、俺はもう行くぜ。あんた、こんな雨の中彷徨いてると身体の代謝機能が鈍って、質の悪いウィルス性疾患にかかるから、これ貸してやるよ」

 HIRO(?)はどこからかぼんやりと緑色に光るブレスレットを取り出すと、事態が飲み込めていない智子の右手をとって器用にはめさせ、

「じゃな」

と軽く右手を挙げて公園の奥の方へ駆けていった。

「…あ。そやなくて、藤田くん、これなんのつもり?」

「フジタじゃねえ、HIROだってんだよ!」

 HIROは最後にそれだけ言って、夜の闇の中に消えた。

「あいつやない?…でもあの顔と声は間違いないし…」

 しかし、会えたことは会えたのだからよしとするか、と智子は首を曲げた。明日学校で聞けばすむことだ。

 いま何時頃だろうと思って腕時計をみる。もう11時を回っている。終電まで時間がない。

「やば、急がな」

 あわてて走り出そうとした智子だが、ぎょっとなって足を止めた。

 雨の水滴が時計に落ちると、時計がぼんやりと緑色に光ったのだ。時計だけではない。肌の上に落ちた水滴も、あたかも薄い膜でもあるかのように緑色の光にあたって跳ね飛んでいる。

「なんやこれ…て、不思議がってる時間ないやん!」

 

▽2日目

 翌日の学校。

 いつものように早めに登校した智子はぼんやりと席に座っていた。とりあえずいつものように問題集を机の上に出してはいるものの、いろいろな考えが頭の中でごちゃごちゃに駆けめぐって、手を着ける気にならない。

 勉強することの目的意識がなくなった、と言うこともある。神戸に戻るためだけに一生懸命勉強してきたのに、その努力は昨日の電話で無に帰した。よく考えてみれば、それで落ち込んで公園に行ったのではなかっただろうか。

 だがそれ以上に気がかりなのは、昨日の浩之(いやHIROやったか?)のことだ。いつもの浩之と同じようになれなれしい態度だったから気がつかなかったが、改めて考えてみれば、HIROの態度はまるで智子のことなど知らないかのようだった。浩之流のジョークかと考えてもみたが、あの爆発や衣装は懲りすぎているように思える。

 それよりなにより、このブレスレットだ。机の中のブレスレットをそっと引き出してみる。どんな材質で作られているのかはっきりしない。金属光沢のある外見に関わらず重さは軽く、さわった感じはプラスチックに似ている。例の緑色の光は昨日のうちに消えてしまったが、怖くなった智子は家に帰るなりゴミ箱に捨ててしまった。

 昨日…緑色に光る見えない膜が雨をはじいたのは、夢ではない。それを夢だというなら、あの場所で浩之、いやHIROと会ったのも現実ではなかったということになる。するとこのブレスレットがこの場にある理由がつかない。数学で習う、背理法というやつだ。

 いったいこのブレスレットはなんなのだろう。そして浩之とHIROとはどんな関係があるのだろう。

 しばらくたってクラスに人が集まり出すと、ほどなく浩之が現れた。毎度のことながら神岸あかりと一緒に登校してきたらしい。なにか言うあかりを鬱陶しそうに追い払い、浩之は智子の隣の自分の席に座った。

「いよぉっ、いいんちょー」

 浩之の態度はいつもと変わらない…ように見える。表情も、いつものノリの軽そうなそれだし、服装も、昨日のサイバーファッションではないふつうの制服だ。

「なんだよ委員長。俺の顔じーっとみつめちゃって…何かついてるか?」

 不覚にも、凝視していたらしい。

「そ、そんなんやない…」

「それならいいけどよー」

「…なあ、藤田くん?」

「ん、なんだよ?珍しいな。委員長の方から話しかけてくるなんてよ」

 聞きたいことがある、と口を開きかけたところに、始業のベルが響き、担任の教師が姿を現した。

「よーし、じゃあ今日はここまで。当番、掃除さぼるんじゃないぞー」

 6時間目の授業が終わって、一斉にクラス中が騒がしくなる。

 結局、浩之に昨日のことを尋ねるチャンスはなかった。声をかけようかどうかと悩むうちに時間がなくなり、口を開きかけたとたんに邪魔が入る。

 しかし放課後になってしまえば、その心配は無用だ。

「…なあ、藤田くん」

 席を立とうとした浩之を呼び止める。

「ん?なんだよ、珍しいな。委員長の方から話しかけてくるなんて」

「聞きたいことがあるねんけど」

「いいぜ。わざわざ委員長から話しかけてもらったんだ。なんだって答えるぞ」

「そない構えるほど難しいこと聞くんやない。昨日の夜…どこにおったか知りたいんや?」

「どこって…学校から帰って、着替えてから飯食いに牛丼屋行ったくらいかな」

「その後は?」

「その後は、まっすぐ家に帰ったぞ」

「…ホンマに?」

 浩之は不思議そうに眉を寄せた。

「なんで嘘つかなきゃなんねーんだよ」

「そ、そうやなぁ…」

「なんだよ、昨日なんかあったのか?街で俺のそっくりさんにでも出くわしたのか?」

「うん、まあ…そんなとこやな。人違いや。ゴメン、気にせんといてな」

「…今日の委員長、なんか変だぞ。本当になにかあったんじゃないのか?」

「ホンマなんもないって。気にせんといてって言うてるやんか」

「いや、そこまで言うなら気にしないことにする。あー、なんかあったかなー」

「わざとらしい…」

「注文が多いなあ。わかったよ。もうなにも聞かねえ。それでいいんだろ…じゃあ、俺は先に帰るぜ」

「あ。待って。後一つだけ聞きたいねん」

 戸口までいった浩之が足を止めて振り返る。

「なんだよ?」

「『HIRO』て人に心当たりないか?」

「ヒロ?ヒロねえ…俺のことそう呼ぶやつがいるけど…んー、ほかに思い当たる奴はいねーな。役に立てなくて悪いな」

 ガラッと扉を開く音がして、ピシャッと扉が閉じる音が続く。

 気がつくと教室に残っているのは智子一人だった。いつも誰とも接触をとらないように真っ先に教室を出て行くから、こうなるとなんとなく心細い感じがする。いそいで参考書やノートを取りだし鞄に詰めこむ。

 と、またガラッという音がした。顔を上げると、開いた扉の向こうから浩之の顔がのぞいていた。だが、身を包んでいるのは学校指定の制服ではない。

「いよぉっ。また会ったな」

「あ、あんた…HIRO!?なんでここに?」

 HIROは教室を見回しながら、智子の前の席に後ろ向きに座った。浩之によく似た(というか全く同じ)顔が智子の顔から数センチのところにある。

「ものすごい偶然…と言いたいところだけどな。実のところ、あんたを探してきたんだ」

「探してって、どうやって?」

「いや、ほら。昨日よく考えずに備品貸しちまっただろ。ホントは、あーゆーのは禁止されてんだけどな。まあ貸したもんはしょうがないと思ってたんだけど、思わぬところで役に立ったよな」

「はあ?」

「いや、ほら。昨日貸しただろ。プロテクトリング」

といって智子の腕をつかんで持ち上げる。

「な、なにすんの!?」

 ドッドッドッドッ。心拍数が跳ね上がるのがわかる。顔が火照っていやしないかと気が気でない。

「あれ?リングは?」

「リングて、あの緑色のやつ?あれやったら鞄の中や」

 ばっと手を振り払い、あわてて鞄のロックをはずす。

「これ、やろ?」

「おー、そーそー。それそれ。返してもらうぜ」

「ど、どうぞ…」

 HIROはリングを受け取り、ためつすがめつした。

「これこれ。こいつでこの場所を調べたんだ」

「…て、それって発信器なんか!?」

「もともとは違うけどよ…」

リングが突如輝き出す。智子には分からないが、スイッチがどこかにあるのだろう。

「本来ここにないものだからな。それは、調べられる」

「…よく、話が見えへんねんけど…」

「その方がこっちは助かる…にしても、あんたが『ここ』の関係者とはね」

「『ここ』て、学校?」

「いや、この建物。そうだ。あんた、『異能者』って聞いたことないか?」

「イノウシャ?」

「なんつーのかな。えーと、なんか普通でないことができるやつ、っていうか」

「さあ…聞いたことない、けど…」

と、言ってみるが、もともと智子は学校のことには疎い。基本的に授業以外で人と話をすることはほとんどないから、そんな噂があったとしても耳にしたことはなかっただろう。

「…そうか。それならそれでいいんだ。じゃ、俺はそろそろ行くから」

「行くって、どこに?」

「どこにって言われてもなぁ。まあ、仕事が終わるまでどっかそこらにぶらついてるよ」

「仕事て、あんた働いとるんか?」

「わざわざこんなところまで遊びに来るかよ」

「こんなところ?」

「いや、細かいことは聞かないでくれ。教えちゃいけないんだ」

「聞くなって言われても、そんな妙な格好していきなり現れたようなやつ、ほっとけるかいな。あんた…何者やねん?」

「それは言えないんだって。そうだな、『流れをあるべき形に修正する』仕事に従事してる…これだけで勘弁してくれ」

「流れて、何よ?水道管の工事でもしてるて言うんか?」

「ああ、似たようなもんだ。それじゃ、またな」

「あ、ちょっと…」

 HIROが振り返る。軽い既視感を覚える動作。

「何だよ、まだなんかあるのか?」

「…あんたのその格好、はっきり言ってめっちゃ変やよ」

「そうか?」

 HIROは相変わらずのサイバーな衣装を見下ろしてゴシゴシやってみたりする。

「わかった。忠告、感謝するぜ」


戻る
次へ